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Traditional Japanese Braiding

組紐の塊 大鎧

2016.06.28

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大鎧は日本特有の古式鎧の先駆けとも言える鎧です。西洋甲冑のように隙間なく全身を覆うものではなく、戦い方や用いる武器、場所に合わせて形を変え、発展していった鎧です。また世界的にもこれほど派手で個性的な甲冑は存在しないと思われます。

平安時代から鎌倉時代にかけて戦は両軍から力ある武士が名乗り出で、騎馬にまたがり馬上にて弓を射る事が主な戦い方でした。相手から放たれる矢や刀剣からその身を守り、武将として勇壮で華々しくも重厚なその大鎧は戦場を美しく彩ったことでしょう。

平安時代前期に完成し源氏と平氏が覇を競った頃には形態美としても優れ、刀と同様に武士の潔くも気高く崇高な精神を反映させ、美しさと実用を兼ねた物となりました。

大鎧一領(りょう)を制作するには鉄や牛革、鹿革を重ねて漆を塗った小札(こざね)と呼ばれる小さな板や、胴には弓走と呼ばれた絵葦の布、障子板や化粧板、大小様々な金具を用います。しかしながらそれらだけではバラバラのパーツであり鎧として形を成しません。組紐を穴の開いた小札に通し、重ねるように威して(綴じ合わせて)いくことでバラバラだったパーツたちが一つになり、鎧を美しく彩っていきます。

その他にも高紐、忍緒、懸緒、総角、胴先の緒、引合わせの緒、繰締の緒などの紐を結び合わせ着用することで鎧は完成するのです。

それぞれの用途に合わせ、ゆるく、かたく、ほどけず、そして立体、平面と紐を作り分け結ぶ機能美、縅(おどし)には赤糸、紺糸、紫糸、白糸、小桜縅などの美しさと個性を反映させた大鎧はまさに組紐の塊と言っても良いでしょう。

特に小札板の両端に使う耳糸や繰締の緒、太刀の緒といった目立つ箇所には見事で縁起の良い柄をした紐が使われました。

命を懸ける戦場で身に着ける鎧には亀甲柄や矢羽柄を配したいという武士たちの願いと需要の高さから、組紐という技術は大きく発展しました。その完成品ともいえる紐の一つが【御岳神社の赤糸威大鎧】の繰締緒に使われた表裏に亀甲紋様の現れる両面亀甲組です。
精緻な組目と配色、組み方を途中で変えることにより柄を切り返す巧みな技。それを平安の世に作り上げた先人の技術と熱意に心を打たれます。

シルクロードを渡り大陸から伝わった組紐は、奈良時代よりおよそ300年の時をかけて日本の地で完成したと言えるでしょう。

戦いの形式が馬上から徒歩で刀や槍を用いるようになると、騎馬戦を想定して作られた大鎧では馬を下りての運動性が悪く、胴丸や腹巻といった動きやすい鎧が好まれました。

戦国時代には鉄砲が登場し分厚い鉄の鎧でなければいけないと鎧の形態が変わっていきます。紐や小札は切られてしまえば修理に時間と労力が大変に掛かり、飛んでくる銃弾を防げない事から豪華絢爛な鎧たちは戦場から次第に居なくなりました。

しかし高級武将の身分を示すものとして組紐で威した袖や草摺りを付けた甲冑など完全に消えることはありませんでした。江戸時代になると大名や力ある武家の象徴として、また献納品として飾られていき、今も人々の心を魅了する工芸品として残り続けています。

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